意味から始めようとすると、
だいたい手が止まる。
何のためにやるのか。
なぜ必要なのか。
どんな価値があるのか。
正しい問いのようで、
実は、とても重たい。
一方で、
構造から始まるものがある。
配置。
順序。
関係。
流れ。
意味を決めないまま、
ただ形だけが先に置かれる。
最初は、
それが何なのか分からない。
なぜこの順なのか。
なぜこの距離なのか。
なぜこの形なのか。
説明できないまま、
ただ、そこにある。
けれど、
時間が経つと、
少しずつ分かってくる。
使われる。
回される。
続けられる。
その中で、
「ああ、そういうことだったのか」
という瞬間が訪れる。
意味は、
最初に与えられるものではない。
残ったものに、
後から貼られるラベルに近い。
構造が弱いと、
意味はすぐに剥がれる。
どんなに立派な理由も、
回らない形の上では、
長く持たない。
逆に、
構造が静かに機能していると、
意味は語られなくても伝わる。
説明されなくても、
納得だけが残る。
人は、
意味があるから続けるのではなく、
続いているものに意味を見出す。
構造は、
その「続き」を支えている。
だから、
何かがうまくいっているときほど、
理由は曖昧だ。
言葉にしようとすると、
どこかズレる。
それでも、
構造は正直だ。
壊れれば止まる。
歪めば違和感が出る。
意味のように、
ごまかしがきかない。
意味を問い続けるより、
構造を眺める。
どう置かれているか。
どう流れているか。
どこで止まらないか。
そこに、
すでに答えはある。
意味は、
後からついてくる。
構造は、
未来に向けて用意される。
意味は、
過去を振り返って生まれる。
だから、
いま意味が見えなくても、
構造が回っているなら、
それでいい。
構造は、後から意味になる。
それで残るもののほうが、
たいてい、長く続く。
