説明できるものは、
たいてい平面だ。
順序があり、
前提が揃い、
一つずつ辿れる。
だから、言葉にできる。
立体になると、
説明は難しくなる。
同時に起きていることが多すぎて、
どこから話しても、
必ず何かが抜け落ちる。
仕組みを作っていると、
よく分かる。
「これは、なぜこうなっているのか」
と聞かれても、
一言では答えられない。
理由は一つではないからだ。
時間。
人。
運用。
想定外。
それぞれが、
別々に存在しているのではなく、
重なった状態で作用している。
立体とは、
複雑ということではない。
同時性だ。
あれも正しく、
これも正しく、
それでも一つに決めなければならない。
その状況そのものが、
立体だ。
AIは、
説明できるものが得意だ。
手順。
条件。
ルール。
それらを
正確に並べることができる。
けれど、
「なぜこの形なのか」という問いは、
最後まで残る。
それは、
説明を積み重ねても、
辿り着けない場所にある。
立体は、
理解される前に、
使われる。
使われ続け、
壊れず、
違和感が少ない。
その結果として、
「なんとなく、これでいい」
という感覚が残る。
それが、
説明できない理由だ。
説明ではなく、
体感として成立している。
だから、
立体を作る人は、
多くを語らない。
語れないのではない。
語る必要がない。
平面は、
言葉で共有できる。
立体は、
時間でしか共有できない。
もし、
「うまく説明できない」
と感じることがあるなら。
それは、
考えが足りないのではなく、
すでに立体に触れている
証拠かもしれない。
立体は、説明できない。
けれど、
確かにそこにあり、
確かに機能している。
そしてそれは、
今も静かに、
使われ続けている。
