何かを決めているつもりで、
実は、もう決まっている。
そんな感覚に、
ふと気づくことがある。
選択肢を前にして、
迷い、考え、理由を探す。
けれど、
選ぶ前から
どこかで方向が定まっている。
それは、
意志の強さでも、
決断力でもない。
決めているのは、
Kernel だ。
どんな環境にいるか。
どんな距離感で人と関わっているか。
どんなリズムで日々が流れているか。
それらが、
判断の前提を
すでにつくっている。
人は、
自由に選んでいるようで、
自由に選べる場所に
立っていないことも多い。
立っている場所。
見えている範囲。
聞こえてくる声。
Kernel は、
そのすべてを含んだ
「場」だ。
だから、
同じ問いを前にしても、
人によって答えが違う。
意見が違うのではない。
Kernel が違う。
Core は、
決断の瞬間に現れる。
けれど、
その瞬間を
どう迎えるかは、
すでに決まっている。
Kernel が、
そこまでの道を
用意しているからだ。
「何を選ぶか」よりも先に、
「どこにいるか」がある。
「どう決めるか」よりも先に、
「どんな場に身を置いているか」がある。
Kernel は、
命令しない。
指示もしない。
ただ、
可能な範囲を
静かに決めている。
だから、
選択に違和感があるとき。
答えが出ないとき。
同じところを
ぐるぐる回っているとき。
Core を問い直す前に、
Kernel を見渡してみてもいい。
環境。
関係。
間合い。
流れ。
それらが変われば、
選択肢の見え方は、
驚くほど変わる。
Kernel を動かすと、
決断は軽くなる。
無理に強くならなくても、
無理に覚悟を固めなくても、
自然に、
次の一手が
浮かび上がる。
何を決めるか。
ではなく、
何が、すでに決めているのか。
Kernel は、
いつもその手前にある。
